天海祐希 宝塚歌劇団への想い。20年前も今も変わらず・・・「明日吹く風のために・・・」
「ミー&マイガール」東京公演での新人公演の時だった。
私にとっては、大劇場に続いて二度目の主役。
最初の舞台は無我夢中で時間が過ぎたが、怖さが少しだけわかりかけていた分、緊張感はこの時の方が高かったかもしれない。
私は、なんと舞台で、帽子を落っことしてしまったのだ。
相手役の檀ひとみちゃんと一緒にテーブルの上に腰かけて、脚をブランブランとふりながらおしゃべりをしているシーンだった。
ポタリ。
手から帽子が離れた瞬間、頭の中が真っ白になってしまった。
どうしよう。
「落っことしちゃった」
それでもなんとか帽子を拾い上げたが、次のセリフが出てこない・・・
第四章 キャリアは自分で作る より
明日吹く風のために・・・天海祐希
明日(あした)吹く風のために… [ 天海祐希 ] |
こんにちは。ちくわです。
わたし、有名人の写真集やドキュメンタリー映像は好きですが、エッセイ本はあまり読みません。
伝えきれない想いや、見えなかった事実の多くを、わざわざ本にしてまで万人に語る必要があるのか?と思うからです。
でも、この本は何故かここにあります。少なくとも20年近く、わたしの行く先々についてきました。
いつ買ったのか、なぜ買ったのか、覚えていません。
断捨離をした時、思い切って宝塚関係の物もほぼ買い取ってもらいました。
しかし、この本は今もここにあります。
読むことはほとんどありません。お守りのようにいつもそばにあるだけです。
苦悩と葛藤、人と人との絆。
トップになった時に決めた、退団の時期。
阪神大震災。
この本は彼女の宝塚生活の想いが赤裸々に描かれています。
100周年記念の時の式典やイベントに姿を見せなかったのは、彼女が宝塚が嫌いなわけではけしてない。
この本を読むと、それが苦しいほどわかります。
「宝塚での生活があったからこそ、私は今の私でいられる。
宝塚の生活があったからこそ、これからの私の人生がある。」
それはこの本が書かれた20年前から今でも、きっと変わることのない真の想いであることでしょう。
研二の頃からか、「ここはへんだ」「ここはおかしい」「ここは違うぞ」と思うことは、私は休みの要求などを含めてしばしば歌劇団に申し入れてきた。
生意気で扱いにくいヤツだと思われることを承知で、さまさまなことに臆せずに抗議してきた。
下級生のころは聞き入れてもらえない事の方が多かった。
しかし、トップになってからは、
「やっぱりトップは強いなあ」と思える場面にしばしばぶつかった。
私は、ひとに比べて恵まれた道を歩いてきたし、恵まれた立場にいる。
もし私ができることがあるならば、なんでもいいからやっていかなければならないと、ずっとずっと考えてきた。
後に続く人達のために、状況を一歩でも二歩でもいい方向に変えていけたとしたら、私が宝塚にいた意味だって少しはあったというものだ。
私はドン・キホーテになることを恐れない。
この時代になぜ天海が月組のトップになったのか。正解はそこにあったと、自分なりに答えを出している。
第六章 みんなに支えられていまここにいる より
天海祐希はいつも、天海祐希のままでいる。
きっとそれが、彼女の何にもかえられない魅力なのでしょう。
ME AND MY GIRL 1995(DVD) |
誰かのコピーにならないでほしい。
誰かにコントロールされたりなんかしないでほしい。
自分で自分を縛りつけてしまわないでほしい。
ひとつの場所にうずくまっていないでほしい。
世界は一つじゃない。スタイルも一つじゃない。価値観も一つじゃない。
生き方も一つじゃない。道はいっぱいいっぱいあるはず。
たくさんの中から自分なりの”やり方”を見つけ、発明していくことは本当に楽しいし、何よりの喜びである・・・
天海祐希
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