宝塚メイクは怖くないよ

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越路吹雪マネージャーと偉大な作詞家 岩谷時子。そして命をかけたミュージカル訳詞と本田美奈子との出会い。

こんにちわ。

楽しみにしていた「越路吹雪物語」一週間分、見ました!

私、個人的に瀧本美織さんと木南晴夏さんコンビがとても好きだったので、

時代が巡ってしまったことが、少々残念でございますが。

大地さんと石毛さん、そんな大女優のコンビにもちろん引き込まれています。

ちくわです。

 

さて、先日は越路吹雪さんのエピソードに、

心を奪われたお話をしましたが。  

takarazuka55.hatenablog.jp

 

本日は、その越路さんを生涯側で支えた時子さんに注目していきたいと思います。

 

越路吹雪マネージャー、そして偉大な作詞・訳詞家 岩谷時子

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いわたに ときこ 岩谷トキ子

生年月日 1916年(大正5年)3月28日

没年月日 2013年(平成25年)10月25日

没年齢 97歳

出生地 朝鮮 京城府(現在の北京)

国籍 日本

神戸女学院大学部英文科卒業

 

5歳の時に兵庫県西宮市へ引越し。

母親の影響で、宝塚歌劇団のファンに。

歌劇団が発行する雑誌『歌劇』に投稿を続けていたところ、

その文才が目に留まり、歌劇団の文芸部から誘われて大学卒業後に『歌劇』編集部へ。

そこで当時、落ちこぼれ団員だった越路吹雪と出会い、友情を育む。

 

その後、越路吹雪さんの退団とともに宝塚を辞め、

彼女のマネージャーとなり、ステージに立つ越路さんを支え続けます。

その一方で、作詞家として数々のヒット曲を生み出すようになり、

ミュージカルの訳詞家としても才能を発揮すようになります。

忙しい毎日の中、どうやって時間を作り、

そのモチベーションを保っていたのでしょうか。

 

越路吹雪さんの唄う シャンソンの訳詞はもちろんですが、

その他の時子さんが作詞、訳詞した作品には、びっくりおったまげです!

 

『恋のバカンス』(ザ・ピーナッツ)

『君といつまでも』(加山雄三)

『お嫁においで』(加山雄三)

『恋の季節』(ピンキーとキラーズ)

『男の子女の子』(郷ひろみ)

 

『ガイズ&ドールズ』(宝塚歌劇団)

『ミー・アンド・マイガール』(宝塚歌劇団)

『グランドホテル』(宝塚歌劇団)

『ウエストサイド物語』(劇団四季)

『ジーザス・クライスト=スーパースター』(劇団四季)

『エビータ』(劇団四季)

『コーラスライン』(劇団四季)

『レ・ミゼラブル』(東宝)

『ミス・サイゴン』(東宝)

『アメイジング・グレイス』(本田美奈子)

『ジュピター』(本田美奈子)

 

本田美奈子さんとの出会い

 

そんな時子さんですが、越路さんと永遠のお別れをした後、

「ミス・サイゴン 」の訳詞をきっかけに、

本田美奈子さん(05年に白血病で38歳で死去)に出会います。

時子さんは本田美奈子さんの才能を「越路の再来」と評価。

本田さんも、時子さんを「恩師」ととても慕い、

50歳以上の歳の差のある二人が、急速に関係を深めていきます。

またも時子さんは、ミュージカル女優本田美奈子を母のように支えていきます。

しかし、本田美奈子さんは白血病が発覚。

 

本田さんが入院中、

路上で転倒した恩師の時子さんが、偶然同じ病院に入院してきました。

その恩師の時子さんを励ますため、

無菌室から一歩も出られない本田さんは、アカペラで歌を歌い、

ボイスレコーダーに録音して時子さんの病室に届けていました。

その時に最初に歌ったのが「アメイジング・グレイス」だったのです。

 

「お母さんが、作ってくれた

大切な、大切な曲、歌います」

 

時子さんはその歌をどんな気持ちで聞いたのでしょうか。

 

 

大切な家族のようなお二人を、時子さんは見送り、

97歳まで生き抜きました。

彼女の一生に、旦那様やお子様というような家族はいなかったようですが、

それと同等、もしくはそれ以上の大切な人たちを支え続け、

そして自分の人生をも生き抜いた時子さんの生涯に、圧倒されております。

 

とても素敵な記事があったので、

読んでみてください。

conex-eco.co.jp

 

では今日はここまでで。
いつもありがとうございます。
ちくわでした。
ごきげんよー。

 

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