常識にとらわれない生き方。常識にとらわれない考え方。
こんにちわ。ちくわです。
2016年も8月に入りました。
皆さんいかがお過ごしですか?
若干引きこもりの高校生の甥っ子に「ポケモンGO」を進めてみましたが、「外に出なきゃいけないからやらない」と即答されました。
それ言っちゃ~おしまいよ、甥っ子よ。
しかし、キミのその考えは正しい。
世間に惑わされずにキミの思う道を歩いていれば、いつかキミの世界が開けてくるはず。
キミは特別な何かを持っているはずだから。
とおばさんは思っています。
この世の中、少し「世間の常識」から外れると白い目で見られ、「まとも」な世界に引き戻そうとする大人がいます。
「ポケモンGO」を勧めた私がそれかも知れません。
「常識」とはいったい何でしょう。
「女が男を演じる」こともそもそも「常識」から外れていることです。
また「男が女を演じる」のも同様な事です。
が、この「野郎歌舞伎」が発展したのは、なんと約400年も前だそうです。
どちらも、似たようなことなのに、なぜ、「男が女方をやる」のは日本の伝統文化であり、「女が男役をやる」ことには抵抗がもたれるのでしょうか。
しかし、わたしはいつまでもそれでいいと思っています。
誰かの抵抗の裏には、必ず誰かの強烈なリスペクトがあるはずですから。
「常識」なんて、初めてやり始めた者がやり続ければ、やがて「当たり前」になっていくんです。
その誰かがやり始めた「当たり前」に乗って進めば「常識的な人」と呼ばれるなら、そんな楽なことはありません。
そんな楽なことを、私を含め大半の人間は「いい子」として生きているのです。
もちろん、乗っていても必死です。
もっと言えば、乗っていなければならない世界に生まれたものは、もっと大変かもしれません。「非常識」なことの方がきっと何倍も楽だと言うでしょう。
だとしたら「常識から外れた」人間を白い目で見る必要性は一つもないはずです。
もちろん警察沙汰は良いことではありません。
他人を傷つけることは悪いことです。
しかし、「常識」から外れた人間が「悪い人」ではありません。
きっとそれが個性です。
わたしはそう思っています。
むしろ、わたしはそういう人間になりたいです。
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